ウコンの選び方講座|ウコンと琉球王国のアジア貿易
ウコンと琉球王国の関係、琉球王国の大航海時代、ウコンと薩摩との関係は深いようです。
1300年代、中国は明朝です。その頃から琉球は中国と交易(貿易)をしていますが、一方、琉球は南方のアジア、今の東南アジア諸国とも盛んに交易をしています。
シャム・・現在のタイ王国、ジャワ・・現在のインドネシア、マラッカ・現在のマレーシア辺りまで進出しています。当時日本が外洋に出られない和船の時代、琉球は外洋を自由に航海できた船と操船技術を持っていたことになります。
日本人でタイに進出して日本人町を造った山田長政は、1630年代ですから、琉球がアジアに進出したのはそれより300年も早いことになります。
現在のアジアには有用なウコン類が多く見られますので、当時の琉球人がその薬効に目をつけ、輸入し琉球で栽培を始めたことは当然でしょう。
歴史は進み、1609年、薩摩が琉球に進攻、一夜にして占領され、その後植民地化されますが、琉球もしたたかで、中国と薩摩に二股かけて二面外交をしています。
琉球を占領した時の薩摩武士の驚きの顔が目に見えるようです。
彼らが首里城に入った時、城内は宝の山だったそうです。
それもそのはず、明との交易で多くの交易品が倉庫に積まれていたわけですから。
その頃の琉球王国は外国交易で儲けていたわけで、民を搾取する必要がなかった。
おまけに、武器を持たない国でしたから、軍事に金がかからないわけです。
で、その宝はどうなったか?
琉球から奪った宝は、薩摩が保身のため、豊臣秀吉やその後の徳川に献上品として使われています。
現在、一部が徳川美術館に収納されているそうです。
皮肉な見方ですが、本土に持って行ったおかげで、第二次戦争で灰塵となった沖縄の宝が残ったのは何とも皮肉な話。
その名残を今の首里城に見ることができます。
ウナー(御庭)の北側に中国の役人が使う建物、南に薩摩の使う建物があり、中国の使節が来たときには、薩摩の武士はこそこそと隠れていたそうです。
何ともいじましい話ですが、沖縄に来たときにはぜひ見てください。